草食系凡人OLのひとりごと。

脱力して生きるくらいがちょうどいい。

私はライター一本で生きていけるのか?

前回の記事の中で考えていたことの続きが、

実はあったかもしれない。

とふと思い出し、書いてみる。

 

なぜ一般的には、ライターと呼ばれる人たちは

読者の共感を集めることを重視するのか?

視点でも一応考えてみたわけよ。

まぁ、答えはごく当たり前のものかもしれないけれど、

ライターにとっては発行部数やPVって

収入に直結すると言っても過言ではない指標だからなんだろうね。

共感がないものには、そこで上げられる数にも限りがあるわけで。

そして収入すなわちライター生命の存続の可否でもあるわけで。

あとはおそらく承認欲求とかもあるんだろうけど、

上記の理由に比べたらオマケみたいなものだと思ってる。

 

今私は会社員という本業があって、

極論、新川由記の執筆活動によって

今後一銭も入らなくなったとしても、

特に困ることにはならない。

ある意味、現時点では

私の執筆する内容によって報酬が大きく変化することがないからこそ、

内容もペースも、誰にも忖度することなく

自由気ままに執筆できている、

と言うことができるかもしれない。

 

ということは、だよ。

裏を返せば、仮に私の収入源が執筆活動一本になったら、

自分が何を書きたいかより、

読者が何を求めているかの方をずっっっと多く重視してしまうだろうな。

いや、私のことだからそうなるのは目に見えている。

そう考えると、カネのことを気にせず

好きなことを好きなタイミングで書けている現状の私は、

すごく贅沢な状況なのかも、とも思える。

 

過去記事でも書いたけど、

近い将来、今の会社員生活から脱却して

あわよくばゆるゆるとライター生活を送れたらな〜と

夢見ている私だけど、

そうなったらなったで、

別のハードモードに直面しそうな

気がしなくもない。

「好きなことは仕事にするな」とは巷でよく言われる言葉だしね。

内発的動機から行っていたものに報酬(外発的動機)を与えられると、

モチベーションが下がるという

"アンダーマイニング効果"なるものも関係していそうだ。


なんか、そう考えると仕事ってなんだろうなぁって思ってしまう。

現代の日本で、多くの人にとって

仕事の選択肢がそれなりにある状況って、

「働くこと=食料を得ること」の絶対的な等式が存在してた時代とかと比べて

果たして幸せなことなのかなとすら疑問に思える。

 

いずれにせよ、私がライター一本で生きていくまでの道は遠そうですね。

 

…ということを考えていたら、

似たようなことを過去にも書いていましたわ。↓