草食系凡人OLのひとりごと。

脱力して生きるくらいがちょうどいい。

なんちゃって小説家をやってみて思ったこと

2022年8月に、

『靴泥棒と四角い私』という

2作品目の小説を出版しました

新川由記です。

(全記事読んでくださっている方にはしつこい紹介になりますが💦)

 

この度こうやってね、

見よう見まねではあるけれども

それなりに「小説を書く」という経験を経て、

感じたことがあるのでちょっと記録しとこうかなと。

 

結論としては、「小説を書くって難しい」って

ただそれだけなんだけど。

だけどその難しさが何に起因するのかって考えると、

私のASDグレーゾーンな性質ってとこに行き着くと思うわけ。

人によっては、

・長文を書けない/書くことが難しい

・日本語が難しくてめんどくなる

ってことが障害になると思うんだけど、

私はこれらに関しては全く問題ない。

仮にも、小説以外という括りでは

これまでたくさん執筆してきたわけだし。

だけど、何かを文章という形にする以前の方が問題なんだな、私は。

具体的には、

①想像力が乏しい

②人付き合いが乏しい

という致命的な弱みがありまして。

(そして①に関しては、

自分以外の人間の生活や思考回路、

現実に起きていない(起こり得ない)出来事、

どちらも含む。。)

まぁ、これらの特徴があるからこそ、

私は10代序盤から

「実際に起きた物事に対する、自分の感情や思想、学び」

についてはこれでもかってほど日記に書きまくれて、

さらにそれを10年以上継続できて、

今に至るまで「執筆」に対してポジティブな姿勢を保てたっていうのも

あるのかもしれないけれどね。

 

ふと思ったけど、

「人付き合いが苦手なコミュ障だから、

一人の世界に籠もって生きられる小説家になろうとしたけど、

いざ執筆しようと思ったら、

人との交流の中から生まれたネタもなければ、

モデルにできるような個性的な人も周りに全然いないし、

どういう状況で自分以外の人はどういう心境になるのかも全然わからなくて、

"結局、小説家になるのにもコミュ強が圧倒的に有利である"

という現実を突きつけられる」

…なんていう笑うに笑えない状況だって当然あるわけで。 

まぁ実際私も、ただのチャレンジ枠で小説書いてなかったら、

そう思って絶望していたかもしれない。

で、小説家になるのに

さらにハードルを高くするものがあるとすると、

そういう「コミュ強」は、

一人で黙々と文章執筆しているより、

仲間でワイワイやってそのコミュ力を発揮してた方が

おそらく何十倍も楽しいし、

そのニーズの方もずっと高いと思われるんだよね。

あ、ちなみに、私は普段小説はほとんど読まない人間で、

プロの書かれた小説を最後にまともにしっかり読んだのは、

おそらく5年以上前(笑)

理由としては、

・誰かの空想の世界の話を読む時間があったら、実用的な知識を得るために使いたい

・構想を得るために読んだとしても、絶対読んだ話に引っ張られて(もろに影響受けて)しまうのをわかっているから

ね。

まぁ、1点目とか特にね、

何を偉そうにってこっそり思ってもらっててもいいです。

それにね、たまたま素晴らしい作品を読んだとしても、

それはそれで自分のレベルを

まざまざと見せつけられたような絶望感を味わうだろうし(笑)

 

いずれにせよ、私みたいな視野が狭く、

世の中のことを知らなすぎる人が

ぱっと書いてみて万人ウケする

素晴らしい小説を生み出せるほど、

世の中は甘くないってことね。

知ってたけど。

じゃあ、

年齢を重ねると共に、いくらか解消されるものなのかしら?

とも思うけど、それもどうだか。

結局、経験豊かな何人、何十人もの知人と

深く交流できるようなコミュ強さんは

それだけで何人分、何十人分もの人生を擬似体験できてるわけだから、

私が一人で私だけの人生を送ったところで、

やっぱり太刀打ちできないっていうね。

私がそういう人たちの真似をしたところで、

間違いなく疲れますわ。

自分一人の人生だけで手一杯だからね。

 

やっぱ、ひとまず私は

小説はほどほどに、ってところなんだろな。