草食系凡人OLのひとりごと。

脱力して生きるくらいがちょうどいい。

無知は罪。疑わずは命取り。

色々と物議を醸しそうな告白をします。

 

私は、

 

小学1年で学校の先生なんてろくなやつじゃないって悟ったし

(なお、小学5年時も再度実感した模様)

(一部のまともな先生方にはごめんなさい)

 

親や親戚の言葉や思考の薄っぺらさには子供心に辟易していたし

 

それでいて私を見て自分達を「立派な大人」だと主張する彼らが別の生命体にしか思えなかったし

 

そんな親を愛せない自分が悪い子みたいな見方をされるのが意味不明すぎたし

 

なぜ調べればすぐわかる(しかも実生活にほぼ役立たない)ことを必死で暗記させるのかわからなすぎて暗記科目は嫌悪してたし

 

自由回答で自分の考えを書いただけで❌されるのが不条理すぎて国語の勉強も茶番にしか思えなかったし

 

「友達とあまりつるまない人=可哀想な人」という目で見てくる人に「さっさとタヒね」と心の中で悪態ついてたし

 

世間やコミュニティで「いい人」ともてはやされる人は大抵偽善者って知ってたし

 

日本の政治なんてオワコンなのは子供の頃から薄々気付いてたし

 

世間のニュースに関心を持たないなんてけしからん的な風潮に疑問があったし

(だってどうせ嘘っぱちか、表面的でしかないから!)

 

そうはいってもマジで赤の他人の不倫だの不祥事だのどーでも良すぎたし

(ワイドショーのコメンテーターは大変だなぁと本気で思ってたし)

 

テレビが「流行ってる」と言えば反射的にとりあえず流行に飛びつく人の生態が理解できなかったし

 

現代医療は万能からはほど遠いのは痛感したし

 

何なら身近な医者は大半がまるでロボットのように思えたし

 

どれほど物質的に満たされていようと、必ずしも幸せを感じられるわけじゃないって知ってたし

 

インスタ映えするキラキラライフには興味がなかったし

 

良い大学に入学することも良い会社(いわゆる有名大企業)に入社することにもあまり興味がなかったし

 

「エリートサラリーマン」なんて言葉の響き自体に反吐が出そうな気持ち悪さを感じてたし(実は今も)

 

だけど小学校から高校まで、幸か不幸か優等生を演じることができてしまって

 

そんな「優等生」が良い大学に入学しない選択肢は実質的になかったわけで

 

そんで良い大学に入学したら、次は良い会社に入社しなきゃいけないみたいな空気に呑まれそうになって

 

それから色々あって、そこそこ社会の荒波にも揉まれてきて思ったのは

 

私が昔からずっと感じてきた上記のこと、

 

やっぱり何も間違っていなかったということだ。

 

......

世の中は理不尽で不公平なことばかりだし嘘で溢れている。

でも、「シナリオ」上はそんなことを言う人が嘘つきであって、

「シナリオ」が描く価値観に従って生きる人が正しいのであって、

「シナリオ」に逆らったり疑問を持ったりする人は頭がおかしい認定されて、

茨の道へと送られる。

結果、「シナリオ」の勢いは衰えることがない。

 

それでも私は思う。

私も「シナリオ」と自分の直感との板挟みで苦しめられた一人だけど、

それのおかげで今の自分があるようなものだ、と。

この社会で生きていく上で「シナリオ」という模範解答を

完全に手放して生きていくのは難しいにしろ、

私は私にできる範囲で

自分の直感を信じ続けて

「シナリオ」には心の中で密かに

あっかんべーしてやるんだってね。