草食系凡人OLのひとりごと。

脱力して生きるくらいがちょうどいい。

「なるようになる」ってこの世の真理なのかも

私の表面上の経歴(主に学歴・職歴)を見たら、

大抵の人は「恵まれた人だ」と思うことだろう。

何なら、「きっと順風満帆な人生なんだろうな」と

羨ましがる人もいるかも。

確かに、

「ど平均的な日本人」という者がいたとすると、

私はその人が

得ることのできなかった経験をしたし、

入学することができなかった学校を卒業したし、

入社することができなかった会社で働いているし、

得ることができない収入を得ている

と言えるかもしれない、幸運な人間である。

とは言え、これまでの人生の中で、

私にだって

悔しい挫折の経験はいくらでもあるし、

縁もゆかりもない遠い土地に夜逃げして

何もかもリセットしたいくらい

何をしても見事に空回りしまくってた時期があったし、

周り皆が簡単そうにできていることが

私にだけ難しくて

絶望したことなんて数えきれないほどあるし、

自分にも身内にも他人にも

◯意(本気のほう)を抱いたことも飽きるほどあるし、

生まれてくる前に

「魂をそこそこ成長させたいから、

(少なくとも人生序盤は)そこそこハードモードな

人生を選択します!」

とでも決めてなきゃ辻褄が合わないと思うくらい、

少し前まで私の人生は試練続きだったと感じる。

 

でもそれと同時に、

「私の人生、自分が思っていたほど悪いものじゃないのかも」

とここ数年で思えるようにもなった。

私が歩むことのできなかった「もう一つの道」を

進んでいたらどうなっていたかなんて、

本当のところは知る由もないけれど

きっと今この現実で

「私は幸せだなぁ」と感じることの個々の要素には、

あっちの世界では

たどり着けていなかった可能性が高いんじゃないかな、

と思ったりする。

これが俗に言う、「結果オーライ」というやつだろう。

 

一般事例の中で具体的に挙げるならば、

受験なんかがわかりやすい例だよね。

一見、憧れの難関校に合格することは

学生にとってはこの上ない幸せなことで、

これから先の人生がバラ色にしか見えないかもしれない。

でも、入学先の校風に馴染めなかったら?

周りのレベルについて行けなくて、自信喪失してしまったら?

「その学校への合格」だけを目標に行動してしまったがために、

その後の生きる意味がわからなくなってしまったら?

その学校在学の数年間のみならず、

その後の何年も、ひょっとしたら何十年も、

当人の人生に暗い影を落とす結果になるかもしれない。

それだったら、本人が無理せず合格できて、

世間的にはそこまで評価が高くなくても、

本人が「ここに入学したい」と心から思える学校に

納得して入学した方がよっぽど良かったわけで。

 

私が機能不全じゃない家庭でキラキラな生活して

メンタルケアもバッチリ万全で育てられてたら、

「かがみよかがみ」に掲載できるエッセイのネタも、

これほどはなかったかもしれない。(いつも掲載ありがとうございます✨)

まぁ、その代わりリア充にしか書けないキャッキャウフフな話は皆無なんだけどさ←

受験生時、当初志望していた大学になまじ受かっていたら、

数年後には間違いなく病んでいただろうと確信できる出来事もあったし。

エッセイのネタが増えたという些細なことから、

「あっちの道に進んでたら、今頃詰んでたかも?」と思えるほどの大きなことまで

目の前では「絶望」のことも

案外、少し先では「希望」になってたりするから、

人生って、自分が思っている以上に上手くできてるものなのかも。

私なんだかんだで守られてるんだな、とすら思える。

そして多分それは、私だけの話じゃない。

 

その渦中にいる時は、割り切るのもなかなか難しいことではあるけれど

辛い現状があって、でもどれだけもがいても上手くいかないんなら、

そっちの道に私の幸せはないんだろうなって思えば、

少しは気持ちが軽くなる...んじゃないかな。

逆に、それこそ生まれてくる前に決めてきたような

「人生で必要な経験」だったら、

自分が望まざると、勝手にやって来ちゃうもんなんだから。

そういう意味で、「なるようになるし、なるようにしかならない」

って言葉、この世の真理を表している気がする。

 

是が非でも叶えたい夢があるなら

そのために必要な努力はすべきだと思うけど、

「人生はその気になれば何でもできるはず。できないのは、その人の怠慢だ」

的な風潮には、どうしても疑問を持ってしまう。

いや、上手くいかない時こそ(上手くいってる時もだけど)、立ち止まって、

長期目線で、その道を進むことが果たして本当に良いことなのか、

考えることが大事じゃないの?

 

何はともあれ、改めて思うのは、

親をはじめとする自分以外の誰かに、

自分の人生における重要な場面での決定権を委ねるのは

本、当〜〜に危険だってこと。

自分で決めて進んだ道がク●だったらまだ納得できるにしても、

他人に言われて渋々進んだ道がク●だったら、ク●しかないから。

まぁ、それも巡り巡って、

後から見た時には「自分に必要な経験だった」と

言える日も来るのかもしれないけれど......。

 

ガチガチにコントロールしようとしない、

思い通りにいく方が稀だという心構えでいる。

だけど自分の行動には責任を持つ。

人生とのほどよい距離感って、そんなところかしらねぇ。