草食系凡人OLのひとりごと。

脱力して生きるくらいがちょうどいい。

「無力感=自分は何もできない感」ではないと思うって話

無事転職先に入社して、充実した日々を送っている新川です。

最近ブログを更新していなかったのは、

①慣れない毎日で単にヘトヘトだったのと、

②転職先の話が絡む内容だと、入社時期が推測され得るので一応ぼかすため(まぁ、内定決まった瞬間にブログで報告してる時点で「?」ではあるけれど💦)

③「かがみよかがみ」のエッセイ投稿や自著の方を優先していた、

という理由です。ハイ。(まぁ、主には①かな。。)

 

最近「かがみよかがみ」投稿用エッセイのために、

転職先で働いてみて感じたことを色々と考えていたときに、

ふっと降りてきた考え。

それが、タイトルにもある不等式。

「そう言えば、前職ではなぜか常に無力感ありまくったなぁ…」っていう考えから、

「そもそも無力感とは?」と考えてみたのでした。

 

辞書の定義では、無力感とは

「ある物事に対して無力であることがわかったときの、

また、何をしても無駄であると知ったときの、虚脱したような感じ」

コトバンクより)

なんだって。

うん、これ自体はわかる。

でも、あれ?

前職では、基本的な業務は全部、1人で回せていたぞ。

そう考えると、上記の定義の「無力感」とは無縁だということになる。

そして、今の職場では私、

未経験の職種に就いたこともあって、

できないことが多く、というか圧倒的に多すぎて、

「無力感」を感じていてもおかしくない。

でも、なぜだか、

言うほど「無力感」ってない。

何なら、前職の方がよっぽど多く感じていた。

これはなぜ……?

考えた結果、一つの答えにたどり着いた。

きっと、無力感ってのは

一般的に思われているような、

「自分には何もできない感」とはイコールではないんだ。

じゃあ何かって言うと、

「行き詰まっている感」ではないかと思う。

(↑上記の定義でいうところの「何をしても無駄であると知ったとき」の部分に近いかも。)

むしろ、

「自分はもっと色々できるはずなのに……(状況等の理由でできない)」

の部分にフォーカスした感覚なのかもしれない。

いずれにせよ、無力感あるところに希望はない。

理屈ではない感覚の部分でも、

今回の私の転職は正解でしかなかったんだろうなと思える。

何ていうか、今の職場なら

将来に対する希望はかなり見出せる気がする。

 

「脱皮しないヘビは死ぬ」って言われるように、

人間も同じ殻の中で停滞してたら

精神的に死んでしまうんだろうな。

難易度が高すぎもせず、低すぎもしない

ちょうどいいレベルのことを行っているとき

快楽物質ドーパミンが分泌されるって話を聞いたことがあるけど、

それとも関係があるように思える。

「難易度が高すぎもせず、低すぎもしない」かつ

「自分が関心を持てること」、

これを見つけることが実は一番難しかったりしてね。

だからこそ、今それを目の前にできている私は

とてつもなく幸運なんだなって思える。

それをずっと求めてもたどり着けなかった過去があるし、

世の中の多くの人もそれがなかなか叶わないことを知っているから。

ただ平凡に平和に生きていられたらいいってもんでもないんだよなぁ。

人間って、ある意味とても贅沢な生き物なのかもね。