草食系凡人OLのひとりごと。

脱力して生きるくらいがちょうどいい。

願いが叶うこと=幸せなこと、なのか?

これは自己肯定感低い人あるあるなのかもしれないけど、

私にもかつてパワーストーンの力を信じていた、

世間知らずというか、単純な時期があった。

で、パワーストーンには確か、

基本的に1つのアイテムに対して願いは1つまで

みたいな決まりごとがあって、

愚直すぎる私は、それはもう真剣に、

その石ころに込めるべき願いについて

考えまくったものだ。

で、何でこんなに真剣に叶えたい願いを吟味したかと言うと、

言うまでもなく、幸せになれることを期待しているからであり、

どうせ叶うのであれば 最大限幸せになれる願いを選択したいから、

に他ならない。

 

でも一方で、あまり一つの願いに執着するのもよろしくない

的な話を聞くわけで。

確かに、ふと冷静になってみると

「あれ、私こんなこと真剣に願っちゃってるけどいいの?」

みたいにアホらしく思える瞬間があるっちゃあった。

うん?? じゃあ結局何を願うことが正解なんだろう?

みたいな思考にもなったっけ。

 

一つだけ確実に言えると思ったのは、

どんな願いも行き着く先は「幸せになりたい」なんだなってこと。

それだけのことなのに、その形にこだわるから

人間はどんどん不幸になるんだよなぁ。

…って願いの渦中にいる私は気付けなかったんだけど。

自分ではよかれと思って願ったことが、

いざ叶ってみると実は不幸への始まりだった、

なんて話も全然ありえないことではない。

それだったら自分で変な注文は出さずに、

天/宇宙/神etc.の意のままに

流れに身を任せただけでいた方が、

結果的にずっと幸せだったということになるわけで。

結果論でしか語ることができない事柄だけど、

毒親から逃れるまでは、自分の願いとは

ほぼことごとく正反対のような人生を送ってきた私は、

これほどまで願いに対して無気力化してしまったことに

ある意味よかったとすら思っている。

 

実際、仮に私が超越した念力の持ち主で、

当時願っていたことのすべて…とまで行かなくても、

半分以上叶っていたとしたら、

きっとそうなったらそうなったで

新たにややこしい問題も抱えることになってただろうし、

何より、良くも悪くも今の私はここにいない

とも思うんだ。

当時色々思い悩んだからこそ、現在享受できている

有形無形の恩恵(とは言いつつ無形の方が圧倒的に多い)も

全部なかったかもしれない。

当然、ライター新川由記だっていなかった。

 

あ、今の私が願いに無気力化しているとは言っても、

別に人生に絶望しているとかそういう意味ではなく。

力んでまで叶えたい願いが、

これと言ってパッと思い浮かばないというか。

それだけ現状満たされてるって意味で、

これ自体がとても幸せなことなんだろうね。

まぁ強いて挙げるなら、

ライターとして活躍の場がもっと広がって、

以前書いた↓みたいな生活を送れることかな。

 

でもこうしてライターとしての夢を描けるって、

いつも応援してくださる皆さまのおかげでしかないですからね!

本当に感謝ですm(_ _)m