草食系凡人OLのひとりごと。

脱力して生きるくらいがちょうどいい。

体調不良の話とか【自律神経失調症】【コロナ感染】

お久しぶりです、新川です。

最近はブログ含め、新川由記としての活動を

かなりスローペースにさせていただいております。

その中でも継続していることの話はまた今度にするとして、、、

 

新川の更新をチェックしてくださっている方々に、

「新川はもう活動やめたのか?」

と思われてしまうのもあれなので、

なぜ最近活動が抑え気味であるかについて簡単に書きたいと思います。

大半の理由は

 自律神経失調症と思われる症状で、本業(会社員)を行うのも精一杯の状態だったため

そして+αで

 ②新型コロナウイルスに感染してしまい、ダウンしていたため

が挙げられます。

 

①については、半年くらい前から時折めまいや吐き気、

下痢や頻尿、頭痛などに悩まされてきたのですが、

特にめまいや吐き気については本当に原因がわからなかったんですね。

でも、ここ数ヶ月の間でその発症頻度は上がり、

悲しいことに、原因不明のめまいと吐き気ほど起きると日常に支障を来たすものでして。

ひどいときには、ほぼ毎日のように酔い止めの薬を服用して

凌がなければならない時期もありますし、

リラックスしているはずの休日ですら、

少し仕事のことを考えただけで動悸がしたり、

寝込むほどの吐き気がしたり、、、

症状で調べてみて、

自律神経失調症が一番当てはまるのかな?と思うようになりました。

確かに最近仕事でストレスを感じることは多くなっていますが、

それだけでこれほどの症状を引き起こすものなのか?といった疑問は残りますが…。

(私よりストレスフルで激務な労働者なんて、世の中いくらでもいると思えるほど恵まれた環境ではあるので…。)

原因はデスクワークでの首こりなのかも、と思って

整形外科に通ってはいますが、効果が現れているのかはイマイチわからないし。

このまま改善されなければ、休職とかも考えた方がいいのかなぁ…

でも一度休職してしまうと、その後のキャリアに響いたりするのかなぁ…

とか色々と考えてしまい、

早期リタイアを望む割にはキャリアの心配なんかしちゃって、

ちゃんちゃらおかしいものだなぁと我ながら考えていたり。

私みたいにストレス耐性が極度に低い人間にとっては、この世界は本当に生きづらいっすね…。

niconicocolo.hatenablog.com

 

②については、特に説明することもないのですが、

滅多に発熱しない私でも38℃超えが何日も続き、

これをあえて風邪と呼ぶのであれば、

「人生最大級にヘビーな風邪」を食らってしまったって感じでしたね。

決してコロナを見くびっていたわけではありませんが、

本当に恐ろしいものなんだなぁと身を以て感じました。

 

感染者はほぼ誰もが皆、

「まさか自分が」という思いを抱えているものだと想像しますが、

私自身も例に漏れず、さらに感染したと思われる場所が

「まさかここで」という場所だったため、

感染がわかったときは本当に悔しい気持ちでした。

でも入院とかして、

生死をさまよったり、亡くなったりする方々のことを思うと、

「軽症」で済んだ私はまだ恵まれている方なのかなって思いますね。

それでも、自分の身に降りかかる恐れのあるリスクは、

普段からできる限り排除するに越したことはありませんね。

特に私みたいに、肉親とは絶縁状態にある人は、

そうでない人以上に「自分の身を自分で守る」力が求められますね。。

 

まぁ、救いとしては、

保健所の対応が良かったこと、

食料の差し入れをしてくれた友人がいたこと、

また職場の方々が適切に対応してくださり、

感染したことや仕事に1週間以上穴を開けたことを責めたりしなかったこと、

などが挙げられるんですけどね。

 

あと、今回のコロナ感染で私は高熱や倦怠感で

1週間ほど寝込んでいたわけですが、

皮肉なことに、

その間はめまいとか吐き気とか、

自律神経系の症状が一切現れなかったんですよね…。

仕事に復帰したら、それらの症状は見事に復活したわけですが←

 

結局、健康で「いつもと同じような日々」をすごせていることが

いかに幸せなことかを、これら2つの体調不良で、ひしひしと感じました。

まぁ、自律神経失調症についてはまだ現在進行形ですので、

何とも言えない部分はありますが…。

少しずつではありますが、次作の原稿作成は進めておりますので、

今後とも気長に温かい目で見守ってくださると嬉しく思います。

それではまた!

 

新川由記

発達障害疑いの私が発達障害者をウリに執筆を始めなかった理由

まずはじめに、、、

本ブログの最初の記事投稿から1年が経過しました!

いつも読んでくださっている方、新川由記を応援してくださっている方、

本当にありがとうございます。m(_ _)m

 

最新の著書『毒親サバイバーが生まれるまで』では初めて

私新川由記が、ASDという発達障害の疑いがある人間だということを

告白している。

 

実はこのブログを開設した当初、

毒親育ち+ASD持ち(疑い)

の人間のブログということを押し出し、

それら2つをテーマとして記事を執筆していこうと意気込んでいた。

そして、実際にそれら関連の記事をかなり書き進めていた。

だが、やがて心の中の疑問を無視することができなくなった。

 

おそらく一生涯形に残るブログというもので、

仮にも自分に「障害者」なんていうラベルを貼っていいのか?

いや、ブログはいつでも削除できるかもしれないけれど、

少なくとも一定期間の間、自分を「障害者」と定義付けて

その前提で色々な話を進めて、自分の意識にもそのように刷り込んで、

それで本当にいいのか?

という疑問を拭うことができなかったからだ。

誤解のないように書いておくが、

私は決していかなる障害者も軽蔑されるべき存在だとは思っていない。

でも、私があえて障害者という枠の中に自分を押し込めに行くことは、

それによって自分に甘えが生じてしまうリスクはあれど、

メリットはさして感じられなかった。

それに、正式に診断を受けたわけでもない私が

悲劇のヒロインぶって、知ったようにあれこれひけらかすのも

おこがましいことこの上ないと思えたのだ。

 

一方で、毒親育ちということは、どうしたって変えようがない過去の事実。

それでありながら、現在含め、一生に渡って

私の人生に多大な影響を及ぼし続ける事実。

それに、毒親や虐待というのは、間違いなく社会的な問題だから、

発信していくことにそれなりの意義はあるという信念を持てたのだ。

こちらのほうは、甘えだのおこがましいだの言ってしまっていては、

本当に心が壊れかねない。

 

毒親に関しては到底そのような感覚は持てなかったのだが、

発達障害に関しては、冷静になって考えると、

「私は確かに発達障害かもしれない。...で、だから何?」

と思うようになった。

実際、私自身は社会人生活を送る上で

大きな問題になるほど困っているわけではない以上、

仮に「発達障害系ライター/ブロガー」として活動しようものなら、

どこかでネタ切れになるのは十分予測できた。

それに、困っている度合いが比較的低いから、

いい加減な心で 生半可な知識を発信してしまいかねない。

そうすることによって、混乱を生じさせたり信用を失うようなことは、

自身のプライドとしても、最も避けたいことである。

そうなるくらいなら、発達障害者をウリにすることなんて、

「不幸自慢」くらいしか意義がないように思えてしまった。

(コミュ障だの陰キャだの言ってる時点で十分自虐なんだけどね。)

不幸自慢する人の痛々しさは、

幼少期から周りの大人たちを見てきたことで、

身に染みて理解しているつもりだ。

線引きは難しいところかもしれないけれど、

自分が抱えたハンデを盾に殻の中に籠るでもなく、

かと言って過去の傷とそこからの学びを忘れることなく、

大胆に、かつ謙虚に生きていきたいものだ。

 

そんな感じで、「毒親育ち系」ライター/ブロガーの新川由記が誕生した経緯の一部でした。

個人的には、「毒親育ち系」と

自分を定義付けるのもいかがなものかという疑念はまだあるにしろ...。

うーん、やっぱり自分を定義するのって難しい。(※以下記事参照。)

niconicocolo.hatenablog.com

カネか、心か

最近複数のインフルエンサーによる、

詐欺まがいの金儲けの物議について聞く。

そして、

そのようなインフルエンサーの悪質さについて

YouTubeなどで解説する別のインフルエンサー群がいて、

彼らの再生回数もまた、

前者のインフルエンサーがやらかしてくれているおかげで

伸びている恩恵を受けているのも何とも興味深い。

(それによって詐欺に引っかからずに済んだ人々もいるのは確かだろうし、

彼らの善悪についてここで論じたいのではない。)

 

人の弱みを利用してよろしくないことを行う人々を擁護する気は一切ないが、

残念ながら、そのような人こそが世の中のルールを作る側に立っていて、

そうでない側は損害を被ったところで

「自己責任」として搾りカス状態でポイ捨てされて終わり、

ってことが圧倒的に多い。

過激な表現をしてしまえば、

この世界は詐欺師(インフルエンサーに限らず…)によって、

詐欺師に有利に働くように作られているだけにすぎないのかもしれない。

 

じゃあ私はと言うと、

インフルエンサーになるつもりなどないというのは

過去のブログ記事で書いた通りだ。

少なくとも今は、あくまで本業の片手間で

しかも読者も大した数はいない状態だから、

カネに執着することなく好きに試行錯誤もできるし、

読者の不安を煽るようなキャッチコピーをつけて中身ペラッペラの商材を売るなんて考えもしないけれど、

これがもし何万人もの人をカモにして

自分が大儲けできる状況が目の前にあったとしたら、

私は自分の魂を売ってでもその大金を手にしてしまうだろうか?

実際その立場になってみないと何とも言えないけれど、

小心者の私には、自分に嘘を付き続けて大金を巻き上げる器も多分ないし、

やったところですぐにメンタルが崩壊するのは目に見えている。

 

それにしても、「魂を売る」という表現、

ひょっとしたら思っている以上に深いところで的を射てるんじゃないかと

これを書きながら思っている。

やっぱカネと人の心ってトレードオフの関係なんだな、と

確信する根拠の一つでは少なくともある。 

 

実際、「やりがい搾取」という言葉もあるし、

社会に意義のある貢献をする仕事ほど低賃金という現実がある。

toyokeizai.net

もちろん、金儲けすること自体が汚いことだとか言うつもりは一切ない。

でも、純度100%の世のため人のため精神で動いていたら、

真っ当な対価なんて懐に入って来るはずもないんだよな。

 

結局、

本業で無難に心を売って生活していけるだけの賃金を得て、

あまりカネにはならなくても

自分の魂が喜ぶような仕事を副業としてちびちび行う生活が、

一番バランスが取れているのかもね。

ということで、私は当分、今のような

「会社員+自称著者」こちらも参考に。

の二重生活みたいなものを続けていくんだろうな。

我ながら、私らしくて、何ともいいじゃないか。

束の間の夢(現実逃避とも言う)

『毒親サバイバーが生まれるまで』執筆中に見た、束の間の夢について書いてみる。

と言っても、寝ている間に見た夢ではなく、

血迷った数日間に渡っての頭の中での現実逃避のことだ。

 

当該電子書籍の執筆の半分程度は、

昔の記憶を絞り出す作業だったと言っても過言ではないかもしれない。

そこで、10代からつけていた日記帳が、

生い立ちの詳細部分を思い出すのに当然一役買った。

(新川の日記についての記事は以下↓)

 久しぶりに読む日記は、時に忘れていたタイムカプセルを開けるような感覚をもたらすこともある。

そこで私は、「昔(高校生頃)心理学学びたいと思っていたんだよなぁ」と思い出してしまった。

自分が希望していた進路という重要なものですら、

いざ別の道に進む結果となると、

記憶なんて簡単にすり替えられてしまうものだと気付いたときは、

はっとさせられるような気がした。

 

毒親への復讐」なんてものを著書で述べている身からしたら、

突如現れた「抑圧されていた過去の自分」を見て見ぬ振りすることは

なかなか難しかった。

 

世の中の職業すべてを、私にとって最もストレスフリーな順番に並べたとしたら、

私の本業の仕事は、間違いなく上位5%には入るのだろうけど、

それでも何ヶ月かに一度は、会社員をやっていること自体がダルくなって、

全く別のことに手を出したくなる衝動に駆られるサイクルが訪れる。

上記を思い出したのは、ちょうどそういう時期に被ってしまった。

内側から煮えたぎるような思いが湧いてきた。

「今からでも臨床心理士の資格取得してはどうだろうか」

と思い立ったのだ。

会社員としての収入は確保しつつ、

いずれは心理士の世界に乗り移れるように、

何か行動してみるのは確かに悪くない。

それに独立できれば、1日8時間週5日労働から解放されるかもしれない。

夢は膨らんだ。

 

だが、すぐに現実的に立ちはだかる壁に打ちのめされた。

少し調べてみただけで、資格取得の受験資格を得るだけでも大変なのだと知った。

社会人ともなればなおさらで、

「現在の仕事に支障を来さない範囲で」なんて

それこそ夢物語でしかなかった。

そして、苦労して資格取得したからと言って、

安定した職を得るのもまた狭き門であると知った。

 

現在の生活と、リスクを取って挑戦してみた先の世界。

天秤にかけるように数日間考えた結果、

そもそも私の(少なくとも「今の」)やりたいことに資格は必要ではないと気付いた。

そもそも私は、学生という不自由でストレスフルな身分は

もうこりごりだと思いながら、大学院を巣立った身。

色々犠牲にした上で心理系の大学院に再入学したとしても、

「こんなはずじゃなかった」と後悔するのが目に見えた。

 

資格がなくても、本業を走らせながら、

片手間でも進められる「やりたいこと」がきっとあるはずだ。

そちらを試行錯誤して、様にしていく方が、

ずっと有用な力が身に付きしかも低リスクなんだろうね。

それに、資格という、

一歩間違えば神格化の対象とし、上であぐらをかきかねないものを

手にすることで、却って失うものもあるのかもしれないと思う。

(資格取得に励んでいる人を否定する意図はない。)

 

だから、束の間の夢から意識が戻ってきた私は思う。

今の生活を大きく変えない範囲でも、

方向を見失わずにコツコツ活動を続けていこう。

いずれは到達したい世界に足を踏み入れられるかもしれないという夢を、

細く長く見続けるためにも。

 

そのためにも、(というか今はこれくらいしかできることがないからなのだが)

私はどこかの誰かの生きる力になりそうな言葉を、

今日も探していく。

【毒親サバイバーが生まれるまで】出版のご報告 #毒サバ

前回の記事でもちらっと書きましたが、

この度、新川由記2作目となる

毒親サバイバーが生まれるまで』(上下巻)

を無事、出版いたしました!(-´∀`-)

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書籍のリンクはこちら↓

(既に読んでくださった方はありがとうございます!)

 

上下巻同時出版ということはもちろん、

前回の著書の分量の軽く2倍はする分量を一気に出しちまったぜ...

ということになります。

そして決して書くスピードは速くない私ですので、

ここ数ヶ月間、プライベートの時間の大半は本書の執筆に捧げていたわけですが、

完成したときの報われた感も半端ないですね。

もちろん終わりの見えない時期というのは、

心が折れやすい時期でもあるんですが、

前作ほどモチベーションが下がった時期は全くないくらいだったんですよね。

多分それは、私が長文を書くことに慣れてきたからというよりは、

毒親への復讐心のおかげ以外の何物でもなかったりして。

とにかく早く完成させて、出版して、1日でも早く多くの人に見てもらいたいという、

執念にも近い熱量を持って執筆の手を進めるのも、

単なる趣味程度のものだったら、まず無理だったかなって。

そうやって、毒親が今でも私の行動に対する影響力を持っているという意味では、

悔しい部分もあるっちゃありますかね。

まぁでも、それがなければ今の私はただの無気力人間のようなものだから、

ポジティブな形に変換できる熱い思いがあるだけいいのかな。

 

ちなみ、前作で表紙をお願いしたデザイナーさんに、

今回も表紙作成を依頼しました。

やっぱり、期待を裏切らないクオリティ!!

何だか、「今度はどんな表紙にしてくださるのかな」って

楽しみを味わいたいがために執筆していく、

って今後なりかねないような気が^^;

(それはそれでありだけど。)

 

というわけで、怒涛の執筆終わり・校正・epub作成祭りを終えたのですが、

その渦中にいる間は一息つけるときを心待ちにしていた割には、

今はそこまででもなく。

むしろ、次作への創作意欲が体の内側でウズウズしている状態です^◇^;

問題は、次作のテーマがまだちゃんと固まっていないことなんですけどね。

まぁ、焦って無計画に執筆始めちゃって、途中で挫折しないためにも、

そしていい内容を読者の皆さまにお届けするためにも、

ある程度は時間をかけて内容を練っていくのがいいのかもですね。

ということで、寛容な気持ちでしばしお待ちいただけると幸いです。

 

新川由記

【やっとこさ】イメージ画像導入しました

ついに新書を出版したのを機に、

Amazon著者ページのイメージ画像を入れてみようかと思い立ち、

それに合わせて本ブログのアイコンも「脱・フリー画像」いたしました。

あ、PCの絵と背景はフリーのものを引っ張ってきてるか(汗)

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PC作業時は大抵ブルーライトカット眼鏡装備でございまする。

 

今までは、本名も素顔も謎に包まれたライター感を出すために、

"NO IMAGE"的な状態も悪くはないのかな〜なんて

思っていたりもしたけれど、

やっぱり何らかの"個性"はほしくなってくるものですね。

特に、私の生い立ちとありったけの心の声を

新書でぶちまけた直後ということもあって。

 

そこで、本人の似顔絵なんかも少しは検討してみたものの、、、

髪型どうする?服どうする?

「私らしい」肖像ってどんなだろう?

特徴から身バレしたらどうするよ?

でもあまりに特徴を捉えられていない似顔絵もそれはそれで寂しくない?

そして少しはミステリアスさを(以下略)

...と、どうしたら良いかわからなくなり。

結論として、

「私の顔写真をデザイナーさんに渡して

『この人をイメージした猫を描いてください』

とお願いした結果の絵を使う」

という手を使いました。

なので、この猫は当たらずとも遠からずで私です。多分。

 

最新の著書についてのあれこれは、また後日書いていきたいです。

 

新川由記

【暇人だけ読んで】将来の夢?

年の瀬ということで、一応

2020年現在の私のぶっちゃけた「将来の夢」でも書いてみようかな。

 

以下、私 新川由記の将来の夢↓

週3くらいでゆるく働いて、

「都会と田舎の中間」くらいの場所で、

(自分の実家とは大違いな)暖かな家庭の中で、

大きな贅沢もない代わりに、特に不自由もない

そんな生活を送ることができればなぁと思う。

欲を言えば、執筆活動でそれなりに収入を得ることができれば

さらに最高だな。

 

...うん、大体こんな感じ?

あとはまぁ、健康的な生活とか、

挙げ出したらキリがないやつばかりだけど、

要は「省エネ」と「幸せ」を両立しつつ、

穏やかに、ほどほどに、生きていければ

それ以上特に求めるものはない気がしてしまうのよね。

 

人によっては、

「こんなものを『将来の夢』と称するなど、けしからん!」

「若いんだから、もっと志を高く持てや!」

って感じるでしょうね。

でもね、

志を高く持ったからって、何になるんですか?って話ですよ。

世の中がイケイケドンドンの風潮だったらまだしも、

少なくともこの沈み行く日本で、

下手に消耗するだけ消耗して人生終わりたいですかって話ですよ。

それに、世の中のおそらく8, 9割は凡人だからね。

世界を動かしている源のほとんどは一握りの天才なんだし、

別に、私含めた凡人みんなが力抜いて生きたところで、

誰も困りはしないんじゃないかな。

自分自身に対してさえ全責任を持っていればね。

 

というわけで、省エネで生きるためのヒントを書いた自著のリンクを

参考までに、以下に貼っておきます。

次作も頑張って絶賛執筆中なので、応援よろしくです〜👍

 

新川由記