草食系凡人OLのひとりごと。

脱力して生きるくらいがちょうどいい。

部屋探しと今の世の中に思うこと【選択か追従か】

転職に伴い引越しをすることになったので、

この物件争奪戦の繁忙期にわざわざ部屋探しをしている新川由記です。

入居先探しも就活と同じで、

最終的にはご縁であることは間違いないと思うのだけれど、

毒親のいる実家を出るとき以来の部屋探しで、

色々と今の世の中と重なるなぁと感じた部分があるので

備忘録的にメモしておこうと思う。

 

社会人になってしばらく経つけれど、

実はこの部屋探しという行動、

慣れているようで実は私はそこまで慣れているわけではない。

(引越し自体はめっちゃしているけどね。)

現職に入社するとき、そしてしばらくして異動になったときも

会社の定めた物件(いわゆる借上社宅的な?)に、

こちらには部屋番号すら選択の余地が与えられない状態で

入居先が決まったような状況だった。

選択肢は全くないという意味では不自由で窮屈な気もするけど、

今思うとそれはそれで

ある意味とても幸せな状態なのかもな、

とすら思う。

完全に選択が自分に委ねられていて、

そこで生じる多すぎるほどの選択肢に起因する、

様々な苦悩や葛藤(というほどでもない??)

を、味わわずに済むのだから。

例え自分で納得して選んだ物件であっても、

おそらくそれは100点満点であることはないだろうし、

入居後もその選択を悔やむこともあるかもしれない。

むしろ、会社指定の物件だったら

「いやー、まぁこんなもんかぁ」

で済んだかもしれないものを、

"自分で選んだ物件"ともなると

「うわっ、やっちまったか…?」

だけど間違った選択を自分がしたとは認めたくない、、、

という葛藤が生じかねないな、と思った。

 

これって、昨今のご時世と重なるところがあるな、と思っている。

具体的に何の話か、わかる人にはわかるでしょう。

大多数が流れる方向に一緒に流されていくのは、確かに楽なことだし、

その先には100点の結果でなくとも、

0点の結果なんてあるはずがないと思える。

あれこれ難しいことを考えたり調べたりするまでもなく、

素直に受け入れて、上から言われるまま追従してればいいだけだから、

なんてコスパのいい生き方なんだ!って思っても不思議ではない。

でも、本当にそれって長期的に自分に得な選択なのだろうか?

住む部屋の話だったら、失敗してもまた引越せばいいだけだし、

住んでいるうちに気にならなくなるということもある。

でもそれが、自分の体、さらには命に直結することなら?

短期的にはめっちゃ悩むし、

自分の選択が原因で苦しむこともあるけれど、

長期的に見て、実はそれが大正解だったってことは、ないのかな?

まぁ、世の中「健康のためなら◯んでもいい」

と言わんばかりの価値観を持つ人も中にはいるだろうから、

一概にどちらがいいとか悪いとか言えないのかもだけど。

…という、1人の"少数派"の人間のぼやきではあるんだけど、

あれ、そんなに部屋探しの話とは関係なかったかな?

ま、いいっか。