草食系凡人OLのひとりごと。

脱力して生きるくらいがちょうどいい。

否定せずにいられない人たち【ワクチン論争】

あまりこのテーマについてあれこれ論じるつもりはなかったけれど、

最近「ひとりごと」らしきものは全然投稿していないので、

個人的に今割と気になっているテーマについて呟いてみる。

 

少なくとも現在を生きる日本人のほとんどが避けては通れない、

「例のワクチンを打つのか打たないのか問題」のことだ。

私自身は、現時点ではワクチンに懐疑的であって、打つ予定はない。

一方で、打つリスクも打たないリスクもそれなりに把握しているため、

何かの拍子に「打とう」と決意する可能性はあると思っている。

で、ちょっとネットの世界を見渡すと、

何組もの正反対の事柄が「事実」としてあちこちで述べられていて、

調べれば調べるほど、何を信じたらいいのかわからなくなる。

その上で、メディアの中、リアルの周囲関係なく、

「当然打つでしょ?」的な

静かな同調圧力を感じることも否定できない。

 

私は医学のど素人だし、自分の頭だけではわからないことだらけだから、

自分なりにちょっとでも「正解」に近い情報を得たいと思っているし、

それは誰しもが思うことではないかと推測している。

でも、本当の正解なんて現時点では存在しない

(あったとしても一般大衆にとってそれは未知である)

って一度開き直って考えてみたらどうだろう。

 

前述のように、何組もの正反対の事柄について、

ワクチン推進派さんと反対派さんが

ネット上で連日連夜熱い議論を繰り広げている。

彼らは永遠にわかり合うことのないであろう議論をずっと続けていて、

よく疲れないな、と心から思う。

シンプルに自分の考えを述べるに留めるならわかるけど、

自分の反対意見の人たちの人格を否定してまで

そういう類の論争を続けるモチベーションはどこから湧いてくるのか、

私には不思議で仕方ない。

Aさんが打ちたい(or打ちたくない)と感じたなら

そうするのはAさんの自由であって、

そしてAさんにとって正解なわけだから、

別にそれで何の不利益も被らない他人のBさんが、

Aさんにあーだこーだ言う筋合いなんてないって

冷静にちょっと考えれば理解できるじゃん。

……もうそれでいいじゃん、お互いにほっとけば。

ってまじで思う。

みんないい大人なんだし、自分の選択に伴うリスクぐらい自分で取るわ。

 

「人間は自分の信じたいものしか信じない」とはよく言ったもので、

結局は全部そこに帰結すると思うのよ。

自分一人で信じたいものを信じて満足していればいいものを

それだけでは飽き足らず、それに反する思想の人たちにわざわざ首突っ込むような人たちって結局、

自分の考えに自信がないことの裏返しなのかな?と私は思ってしまう。

おそらくこの状況で真に自信があると言える人などほぼいないとは思うけど、

じゃあ論争にわざわざ巻き込まれに行くような人と、静観する人、

お互いに何が違うのかって考えると、

「自分の考えに自信がないことを認められるかどうか」

くらいしか私には思いつかない。

「本当の正解はない」という同じ土俵に全員実は立っていることに気付いていたら、

自分の意見も反対意見も表裏一体であって、

自分の意見なんてものは一瞬で崩れ去り得る脆いものであって、

だから反対意見も頭ごなしに否定するなんてことは馬鹿げている、

ということを理解できると思うんだけどな。

論争好きな方々は、わざと推進派と反対派とで(まるで別世界の人たちであるかのように)線引きをしては、

自分の考えに自信がないのを

「反対側にいる人たち」を否定することで蓋をして、

自らの心の平穏を保っているのかな。

そこまでして「正解側にいる自分」に執着する理由が、

これまた私には理解できないけれど。

 

悲しいことに、他人を否定せずに生きていけない人たちは

いつの時代も、一定数いるってことなんだろうね。

何だか、毒親と通じる部分があるなぁと

毒親育ちとして、新川由記はしみじみと思うのでありました。

(こういった論争が苦手だからっていうのが、

私がTwitterを使っていない主な理由なのよね…。)

 

とりあえず、論争に巻き込まれそうになったら、全員

「ふ〜ん、あなたはそう考えるのね。いいんじゃない?

それであなたが◯んでも、私は責任取らないけどね☆」

って返しとくくらいがちょうどいいんじゃないかしら。