草食系凡人OLのひとりごと。

脱力して生きるくらいがちょうどいい。

とある三姉妹の話(1/2)

私の祖母には、2人の姉がいた。

一番目の姉である長女は私が子供の頃、よく私にこう言っていた。

「昔はね、英語は敵国の言葉だからって言って、

学校でも教えるのが禁じられていたの。

だから私は英語ができないの」

おそらく、英語が得意だった私に対して、

英語が全くできない自分を正当化しての発言だったのだろう。

でも、それを聞いて私は、子供ながら、

「なんて聞き苦しいことを言うんだろう」

と感じていたのを覚えている。

少なくとも、太平洋戦争開始時には、

年齢的に彼女は高校を卒業していたはずだ。

昔の教育制度や英語に対する風当たりはよくわからないけれど、

戦時中以外のタイミングで、学ぶ機会は全くなかったのだろうか?

終戦後でも、彼女は20代前半。

その気になれば、英語なんていくらでも習得できたはず、

と思うのはお門違いなのだろうか。

 

一方、二番目の姉である次女は、

英語だけでなくフランス語も堪能で、

通訳として活躍していただけでなく、

日本人に英語を教えたり、

外国人に日本語を教えたり、

(当然、SNSなんかもない時代に)

プライベートでもそれなりに外国人の友人との交流があったと

ちらほらと耳にした。

「耳にした」というのは、

私が彼女の人生に

興味を持ったり理解できたりする年齢になる前に、

彼女は亡くなってしまったからである。

でも実際、彼女の亡き後もしばらく

彼女の外国人友人らとの家族ぐるみの付き合いはあったので、

今の私が見ても、憧れるような人だったのかもな、と想像する。

 

まるで対照的な、2人の姉。

長女と次女の年齢差は、おそらく3つや4つだろう。

それなのに、こうも違った道を選んだ。

これは別に、

日本国内で教師一筋の人生を送った長女を見下したいわけではなく、

それはそれで彼女にとっては

幸せな人生だったのは間違いないと思う。

(じゃなければ40年間とか同じ職場にいられないと思う、、私だったら💦)

ただ、そうならそうで

なぜ、自分に欠けている部分をわざわざ掘り返して

子供相手に、やっかみを込めた言い訳をしていたのかが

私には不思議でたまらない。

 

まぁ三女である私の祖母も、

英語はほぼできない、日本国内で日本人相手の自営業一筋の人だったし、

次女が特殊なだけってかもしれないけれど。

でも三女が長女と違ったのは、

英語ができないのを時代のせいにするような言い訳は

一切聞かなかったってこと。

年齢的に、終戦後に英語を学べたからって要因は大きいかもしれんが。

 

蛇足だけど、自転車に関しても

長女は同じようなことを言ってたっけな。

「昔は女性が自転車に乗ることなんて、はしたないことだった。

次女と三女が乗れるのは、親に隠れて練習していたからだ」

うーん、じゃあ自分もこっそり練習すれば良かったのでは??

と思ったんだけどね、なんか、

長女としての「いい子でいる自分」のプライドでもあったのかな?

(言ってしまえば第一子でもなかったんだけどね、長女は。)

何なら、三女の祖母は

本当は音大に進学したかったんだと聞いたことがある。

しかも、確か本人ではなく、長女の口から。

でも、(祖母の)母親と長女に「食っていけない」と反対され、

結局手に職をつける大学に進学したと。

それでも、祖母から「あの時音大を反対されたから」などと

言うのを一切聞いたことがない。

私がその話を聞くまで、

祖母がピアノを弾けたことすら知らなかったくらいだから。

まぁ、祖母の心中はどうだったのかは知らないけどね。

ひょっとしたら、

自分が選べなかった道を記憶から葬ることで

現実に選んだ自分の人生を

肯定しようとしていたのかも。

長女が言い訳を並べることで

自分を正当化しようとしていたのに対し、

三女は自分の本当の気持ちを沈黙することで

自分を正当化しようとしていた、

と考えることもできる。

こればっかりは、実態は闇の中なんだけど。

 

(2/2に続く)