草食系凡人OLのひとりごと。

脱力して生きるくらいがちょうどいい。

束の間の夢(現実逃避とも言う)

『毒親サバイバーが生まれるまで』執筆中に見た、束の間の夢について書いてみる。

と言っても、寝ている間に見た夢ではなく、

血迷った数日間に渡っての頭の中での現実逃避のことだ。

 

当該電子書籍の執筆の半分程度は、

昔の記憶を絞り出す作業だったと言っても過言ではないかもしれない。

そこで、10代からつけていた日記帳が、

生い立ちの詳細部分を思い出すのに当然一役買った。

(新川の日記についての記事は以下↓)

 久しぶりに読む日記は、時に忘れていたタイムカプセルを開けるような感覚をもたらすこともある。

そこで私は、「昔(高校生頃)心理学学びたいと思っていたんだよなぁ」と思い出してしまった。

自分が希望していた進路という重要なものですら、

いざ別の道に進む結果となると、

記憶なんて簡単にすり替えられてしまうものだと気付いたときは、

はっとさせられるような気がした。

 

毒親への復讐」なんてものを著書で述べている身からしたら、

突如現れた「抑圧されていた過去の自分」を見て見ぬ振りすることは

なかなか難しかった。

 

世の中の職業すべてを、私にとって最もストレスフリーな順番に並べたとしたら、

私の本業の仕事は、間違いなく上位5%には入るのだろうけど、

それでも何ヶ月かに一度は、会社員をやっていること自体がダルくなって、

全く別のことに手を出したくなる衝動に駆られるサイクルが訪れる。

上記を思い出したのは、ちょうどそういう時期に被ってしまった。

内側から煮えたぎるような思いが湧いてきた。

「今からでも臨床心理士の資格取得してはどうだろうか」

と思い立ったのだ。

会社員としての収入は確保しつつ、

いずれは心理士の世界に乗り移れるように、

何か行動してみるのは確かに悪くない。

それに独立できれば、1日8時間週5日労働から解放されるかもしれない。

夢は膨らんだ。

 

だが、すぐに現実的に立ちはだかる壁に打ちのめされた。

少し調べてみただけで、資格取得の受験資格を得るだけでも大変なのだと知った。

社会人ともなればなおさらで、

「現在の仕事に支障を来さない範囲で」なんて

それこそ夢物語でしかなかった。

そして、苦労して資格取得したからと言って、

安定した職を得るのもまた狭き門であると知った。

 

現在の生活と、リスクを取って挑戦してみた先の世界。

天秤にかけるように数日間考えた結果、

そもそも私の(少なくとも「今の」)やりたいことに資格は必要ではないと気付いた。

そもそも私は、学生という不自由でストレスフルな身分は

もうこりごりだと思いながら、大学院を巣立った身。

色々犠牲にした上で心理系の大学院に再入学したとしても、

「こんなはずじゃなかった」と後悔するのが目に見えた。

 

資格がなくても、本業を走らせながら、

片手間でも進められる「やりたいこと」がきっとあるはずだ。

そちらを試行錯誤して、様にしていく方が、

ずっと有用な力が身に付きしかも低リスクなんだろうね。

それに、資格という、

一歩間違えば神格化の対象とし、上であぐらをかきかねないものを

手にすることで、却って失うものもあるのかもしれないと思う。

(資格取得に励んでいる人を否定する意図はない。)

 

だから、束の間の夢から意識が戻ってきた私は思う。

今の生活を大きく変えない範囲でも、

方向を見失わずにコツコツ活動を続けていこう。

いずれは到達したい世界に足を踏み入れられるかもしれないという夢を、

細く長く見続けるためにも。

 

そのためにも、(というか今はこれくらいしかできることがないからなのだが)

私はどこかの誰かの生きる力になりそうな言葉を、

今日も探していく。