草食系凡人OLのひとりごと。

脱力して生きるくらいがちょうどいい。

Q. 自分は変わりたいのに上手くいかなくて辛い→A. 無理して変わる必要はないよ

これまた日記を読んでいて思ったことから派生して書こうと思う。

初期の頃は、1回書くごとに「未来の私へ」から始まり、「過去の私より」で締めていたことからも、

「誰にもわかってもらえないだろうけど、きっと未来の自分ならわかってくれるのではないだろうか」藁にもすがる思いで書き綴っていたことが窺える。

その返信を今ここでするつもりで、ちょっとだけ書いてみる。

 

私は小学校高学年の頃に受けたとあるトラウマによって、

その後の人生をずっと「シャイでコミュ障な人」として歩むことになった。(少なくとも20代の現時点でもそう。)

10代〜20代前半の私は、こんな自分を変えたくて、でも上手くいかなくて諦めて、でもやっぱり変わりたくて、…っていう繰り返しの歴史だったと言っても過言ではない。

私は割と真面目人間の部類に入ると思うけれど、

こういうとき、真面目な人ほど、

「今の私は全然ダメだ。もっとこうならなければならない。

でも上手くできない。何で皆にはできて、私にはできないんだろう」

ってぐるぐると思い詰めてしまうと思う。

実際私も、学生時代の大半は、土壺にはまったかのような思いですごしていたと記憶している。

でもやっぱり、何年もそんな状態でいるのなんてしんどすぎるし、

どこかで認知を歪ませなければ、限界を迎えた心は折れてしまうのだ。

この「認知を歪ませる」というのがポイントとなるのだけど、

別にこれ自体はネガティブなことではなく、

むしろ自己防衛本能として当然のことだし、

真面目人間はもっと大いに活用していっていいんじゃないかと思う。

 

私の場合、学生→社会人、という環境の変化も大きな要因の一つだったとは思うが、

もう、変わろうとすること自体が苦しみを生むのなら、

前提から変えて認識してしまおうと、ここ最近やっと吹っ切れた気がする。

どういうことか、ざっくり言うと、

「別に、自分は自分の価値観や考えに沿って生きているだけだし、

他人であるあなたに私の言動や性格がどうこうとか言う筋合いなんてないよね?」

と、開き直ることだ。

…「なんか嫌なやつだなぁ」と思うだろうか。

それとも、「なんだ当たり前じゃん」と思うだろうか。

おそらくどちらもその通りである。というのも、

事実はそのままに、でもその解釈を変換することによって、

自分の中だけで、都合よく「嫌なやつ」になっちゃうことを意味しているからだ。

と言っても、「こんな愚民どもとは関わらねーよ!」とかのネガティブな意識に走らないようにはしたいものだけど。←これだとただただヒンシュクを買うだけの根暗です。

大事なのは、「自分も他人も見下すことなく、現状の自分でも十分問題なく生きていける理由を探っていく」ことなのかな、と思う。

 

例えば、私の場合だと、

「他人と関わることに苦手意識を持った自分はなんてダメなんだ」

→「他人とがっつり関わらないと死ぬような場面ってそうそうないよね?あったとしても、苦手意識であって無理なわけじゃないから、そのときは頑張れるよね?誰にだって苦手なことはあるしね。実際それで、私と他人との人間としての価値に違いが生じるものじゃないもんね。それに、他人とあまり関わらず、一人の時間が多いからこそ、執筆活動とか、自分の好きなことに時間が割けるじゃない」

みたいな感じかな。(実際の思考は、もっと複雑で深いもの…あるいはその真逆、なのかもしれないけれど笑)

 

よくあるただの「自分をもっと好きになりましょう」「思うほど周りは気にしてないよ」的な気休めのアドバイスが絶望的に役に立たないのは、

私も条件反射で反吐が出そうなくらいに理解している(「それができるなら苦労してないっつーの!」ってね)つもりなので、

どうやったらこんな風に割り切れるのか、1つだけ行動アイディアを出してみようと思う。

結論から言うと、自分の軸をはっきりさせること、に尽きると思う。

 

無理に自分という人間に対して自信を持つ必要はない。

でも、自分の軸、つまり自分の根底にある価値観は明確にして、それに全力で信頼を置いてほしいとは思う。

自分の軸に自信が持てないなら、

「どう考えても、自分の中では、これが軸であることは揺るぎないことのようだ」

と思えるようになるまで、どこまでも考え抜けばいい。

それがただの仮初の自己正当化であるならば、

どこかで虚しさを覚えることになるはずだ。

大多数がこう言うからこう、という思考がどこかで入っているのであれば、

ぐるぐると思い詰めているときの思考から抜け出せていないことがわかるだろう。

 

例えば、「友達がなかなかできない」ことで悩んでいるなら、

そのことが悩みとなっている前提には、

「友達は多ければ多いほどいい」の他に、

「ひとりぼっちは惨め(に見られる)」、

「友達がいなければ充実した人生にならない」、

「友達こそが自分の存在意義を教えてくれる」、etc...

のような、どれも、冷静に考えてみれば根拠が曖昧なのにそのまま広く浸透・支持されてしまっている考えがあって、

つまりあなたは、世間の"常識"とやらにただ踊らされていた可能性が高い、

ということにまず気付くことが重要なのだ。

 

もしそれでもやっぱりあなたが「世間の常識=自分の常識」としか思えないのなら、

死ぬ気で自分をそのように変えようと努力すればいいと思うし、既にそのように動いているはずだ。

でもどこかで苦しく思えるのなら、あなたの軸は別のところにあって、

無理して変わろうとするのは、却ってよくないんだというサインなのかもしれない。

 

完璧な人間なんていない。

このことに気付くだけでも、気持ちはずっと楽になるんじゃないかな。

足掻かなくなったあなたを支えているのは

「諦め」ではなく「気付き」である状態、

を目指してみてはどうだろうか。