※この記事には、『靴泥棒と四角い私』のネタバレが含まれます。
これから読まれる予定の方は、読了後の閲覧をオススメします。
さて、今回の作品の表面的な部分の感想戦の記事は作成したので、
今度は中身に関して、筆者としてあれこれコメント
してみよっかな〜的なノリでだらだら書いていきます。
まずね、タイトルから見てみましょか。
おそらく99%の方々は、見た瞬間に
「『四角い私』? 何じゃそりゃ??」
ってなったんじゃないでしょうか(笑)
この「四角い私」、物語の比較的序盤でも種明かしされますが、
主人公みなみの「足の形」のことなんですよね。
そして、何を隠そう、
私 新川も、スクエア型の足の持ち主なのです(ノ◇`;)
ええ、博士の言う通り、親指から中指まで(何なら、薬指まで!?)
見事にほぼ均一の長さなんですわ。
少なくとも日本人の中では少数派みたいなんですが、
大学生くらいになるまで、そんなことは知らなくて。
みんなよくそんなハイヒールとか、先の尖ったパンプスとか、
痛いのに履けるなぁ、、、って思っていたのですが、
気付いてしまったのですよ。
そもそも、私の足の形の方が規格外なのだ、とね…。
まぁ、元々ハイヒールとかには興味がなかったので、
履けないなら履けないで
それでも全然問題なかったのですが、
就活の時に、この足のことで
かなり悩まされたりもしたんですよ。
「何で、スクエア型の足の人に合う靴って少ないんだろう。。。
そして、就活ではさも当たり前のように、みんな黒パンプス。
そうじゃなくても、
『正統なオフィススタイル=パンプス』
みたいなイメージが根強い。
まるで、
『窮屈だろうと靴ずれ起こそうと、知ったこっちゃない。
黙ってこの決められた靴履いてろ!』
って言われてるみたい」
って思いながら、極力私の足にも負担になりにくい
黒パンプスを探し回った記憶がありますね。
まぁ、そんな記憶が、本作品の構想の第一歩目といったところなんですが。
選べる靴の選択肢がグッと少ないって意味では、
ほんっと、こんなことでマイノリティになりたくなかったわ、、、
と、親(からの遺伝のため)を恨んでおります。
それはそうと、まさに第1章のタイトルのような
『私の足はパンプスに合うようにできていない』
(最初はそれが本書のタイトルの候補でもありました)
という思考から派生して、
「多数派に合わせるよう強要される(空気のある)社会」
「『いい子』でいれば幸せになれると洗脳する社会」
を、小説に落とし込めないかなぁと思ったのが、
次の段階となります。
最初は『省エネモードで生きる』スタイルでの執筆
(※当該著書のように、事実や新川の考えを淡々と解説していくスタイルのこと)
も考えてはみたのですが、
「いや、せっかく『窮屈な靴(パンプス)』
という例えが見つかったんだし、
そこから言いたいことが言えるような、
物語を展開してみよう」
と思ったのでした。
そんで大まかな構想を考え、
執筆を進めていったのですが、
時はまだまだコロナ禍真っ只中、
おまけに顔パ◯ツ・お注射論争なども巻き起こっており、
世の中がどんどんおかしな方向に
向かっているのを目の当たりにして、
私も色々と思うところがあったもんですから、
「あぁ、私が著書で描こうとしている世界は、
まさに今世界で起きていることと同じなのかもしれない」
と思ったりもしましたね。
構想を練っている段階では気付かなかったのですが、
『(物語内の)靴 ≒ (この世界の)顔パ◯ツ』
と捉えることもできるかもなー、
って執筆を進めながら思いました。
つまりは、元から日本社会に顕著だったおかしさだけでなく、
今世界中で起きているおかしなことについても同時に、
読者の皆さんに考えてもらうきっかけにも
なったんじゃないかなー、とか、
おこがましくも考えたのでした。
まぁ、本当に洗脳されきってしまった方々には、
博士が津波から逃げる直前に見た人々のように、
何を言ったところで、
頑なに事実を見ようとせず、
今起きていることに気付くことはないのでしょうが。。。
私も色々なことに気付くのが遅い方だった身なので、
あまり偉そうなことは言えませんが。
でも、何事も、
おかしなことはおかしいと
声を上げられるうちに上げておかなければ、
いつか本当に取り返しのつかない
ことになりかねないな、と
危惧はしています。
この著書の影響力云々については置いておくとして💦
ほんとに、先の見えない世の中で
疲弊してしまうことも多いと思いますが、
一緒に乗り越えていきましょうね。
新川由記