草食系凡人OLのひとりごと。

脱力して生きるくらいがちょうどいい。

最高のカウンセラーとは

以前宣言した、例の日記帳の整理をしていると、

「これを書いていた当時の私に今の私が現れて、アドバイスできるとしたら、何て言うだろう?」

と考えながら転記作業をしている自分に気付かされる。

昔から私はあれこれ思い悩んでいるような子供だったし、

日記に書くことと言ったら、逆に悩みくらいしかネタがないようなものだった。

そんな当時から時間も経って、様々な経験も積んでいるから、

今ではその悩みを大分俯瞰して見られるようになったのは間違いない。

それでいて、実際にその悩みを経験した張本人なんだから、

普通に考えれば、正に最高のカウンセラーになりそうだよね。

 

ところが、だな。

割と真剣に想像してみると、

どんなに正論を「経験者」から諭されたからって、

それで当時の私の気持ちが安泰になるとはあまり考えられない。

 

ちょっと極端な例だけど、

学校という場所に日々居心地の悪さを感じていた昔の私に、

以下のような言葉をかけるとしよう。

「そんなに学校が嫌なら、辞めちゃってもいいんだよ!

学校なんてどうせ大したこと教えないんだし、

そんな特殊な村社会みたいな環境で消耗するくらいなら、

自分で稼げる方法を見つけてさっさと社会に出てしまった方が、ずっと有意義だよ!」

実際、今の私の考えはこれに近い(多少大袈裟に書いているけれど)。

もし当時の私がこれを言われたら、どう感じるだろう。

「実際あなただって、何だかんだ我慢して大学院まで出てしまって、

今までレールの上を歩く人生を送って来たじゃないの。

そんな簡単に逃げられるものじゃないって、わかってて言ってるの?」

未来の自分の経歴が見えていたら、こんなふうにカウンターを食らわすだろうな。

いずれにしても、そんなアドバイスは求めてない、と言われそうだ。

現実的に状況を改善するにはどんな行動が考えられるか、

もしそれが難しそうなら、せめて心が崩壊しないために、どんな思考を持っていればいいか、

おそらくそういうことを聞きたいだろう。

でも残念ながら、「現在の私」視点からしたら、

しょうもないクラスメイトの取り扱い方法とか、

スクールカーストの少しでも上位に這い上がる方法とか、

どうでも良すぎて、一緒に真剣に考えたり、アドバイスする気になんて、とてもなれやしない。

 

こんな感じで、時間軸での立ち位置が違う以上、

同一人物と言えども、物事の見方や考え方にズレが生じてしまうものだ。

私がこんな感じでブログに書くような内容一つ取ったって、

当時の自分からしたら無責任とも取れるアドバイスを、

平然と頭の中で生成して、無意識に頭の中でドヤってしまっているだけなのかもしれない。

多分だけど、今現在の自分の生き方に自信が持てない人ほど、

こういう感じの的外れなアドバイスを、

過去の自分だったり、他人だったりに、

押し付けたがる傾向があるのかもしれない。

「今の自分」ですら「過去の自分」とはかけ離れた存在なのなら、

「他人」はなおさらそうであるのは、言うまでもなく。

それを自覚できないまま、

「自分のアドバイスを受けて、相手はその通りに変わったのだ!私は、なんて善人なんだ!」

と喜ぶような頭空っぽのイタい人とは、

あまり関わらない方が身のためだろうね。

 

じゃあ最高のカウンセラーがいるとしたら、それはどんな存在か?

と考えてみると、「今、ここにいる、この体を持った、この私」でしかないのではないだろうか。

「今ここで悩んでいる私」と二人三脚でどこまでも付き合ってくれる「もう一人の私」がいなければ、

おそらく誰にカウンセリングしてもらったところで、

虚しさは拭えないのかもしれない。

私の場合、それが日記帳であったと言えるんだ、と

ここに来てやっと、「私にとっての日記帳とは」と「その理由」を、

(「心の支えとなる」以外に)言語化できた気がする。

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