草食系凡人OLのひとりごと。

脱力して生きるくらいがちょうどいい。

未知のものへの恐れ

前回書いた記事のちょっと延長線的な話をしてみようと思う。

他人同士なんてわかり合うことなど不可能なのに、

何で中途半端にレッテル貼りしてまで理解しようとしてくるの?

という疑問に関するものだ。

というのも、

かの有名なヒットドラマ、

セックス・アンド・ザ・シティ(SATC)

のとあるワンシーンがふと頭に浮かんだからだ。

SATCってどんなドラマ?って人は↓

 

そのワンシーンというのは、

30代の独身女性が、ひょんなことから勤務先のイベントで

とあるレズビアンの女性とカップルのように振る舞っていたら、

それまではよそよそしかった職場の上司(既婚男性)から

気さくに話しかけられ、ホームパーティにまで誘われた。

彼女の推測によると、既婚者から見て、

一定年齢を超えた独身女性というものの存在は

未知のものであり、恐怖の対象であると。

実はレズビアンだった(実際は違うけど)と判明した途端、

上司にとって彼女は「未知のもの」ではなくなり、

すなわち恐怖の対象でもなくなった。

...と、いうものだ。

まぁ、個人的には

「30代で未婚の女性」なら未知の存在であって、

レズビアン」なら未知の存在ではないっていう感覚は

ちょっとよくわからない気もするけど、

そこは本題ではないんでね。

 

ちょっとだけ、ある種の納得はした。

人間は、自分の理解が及ばない「未知のもの」を恐れる。

生存本能の働きと言えるのだろうが、

そこで自身の身を守るために、

事実と異なっていようが何だろうが、

「未知のもの」を自分の「既知のもの」に

フィットさせようとする。

何が起きているのかというと、そういうことだ。

 

でもさ、

「未知のもの」は「未知のもの」として

そのまま受け入れろっていうのは、

そんなに難しい話なのかな?

自分の理解できる何かにカテゴライズできないと、

そんなに気が済まないものかね?

私が他人に興味がなさすぎるから、

こんなことが言えるだけなのかな?

まぁ、私の上司を例に考えてみると、

部下に関心を持つことはある意味当然のことだし、

部下のタイプを見極めて育成しなきゃだから、

なんとかして理解してくださろうとしていることは

ごく自然な流れっちゃあ流れなんだろうけど。。

それでも、中途半端なレッテル貼りは

されて気分のいいものではないし、

それって本当に

私を人間として尊重してくれていることになるのかな、

とすら思ってしまう。

 

そりゃあね、

成分も効果も不明確な薬を差し出されて、

「これはあなたを救う魔法の薬だ。

さぁ、どうぞ遠慮せずに飲みなさい」

と言われて、疑わず馬鹿正直に飲んでしまうのは

生存本能が機能停止しちゃってるわけだし、

完全にメカニズムは理解できずとも

自分の知識を総動員させてできるだけ理解して、

リスクとベネフィットを天秤にかけてから飲むべきなんだけど、

ここで言ってるのは人間だからね。

自分の暗◯でも企ててそうな人でもない限り、

理解し(ているように思って)ようが、理解しまいが、

自分と相手の関係にそんなに影響なんて

及ばないんじゃないのかな?

「この人はどうも理解できそうにない」と思うなら、

所詮はそれまでの関係なんだし、

恐れが湧き出るなら、そっと距離を置けばいいだけの話。

「理解しなきゃ」って思い込みがあるから、

色々苦しくなってくるんじゃないかな......?

 

ところで、「新川みたいな人もSATCのドラマ見るのね〜w」

とか思っているそこのあなた、

そりゃ顔出しもせず

変な独り言を気まぐれにブログに上げてるような新川こそ

未知の存在以外の何者でもないかもだけど、

そういう思考こそ

レッテル貼りの一種かもしれませんよ〜(^ω^)